食べ物、映画、音楽、本‥についての所感を
とりあえずしばらくはジャンル分けせずに、
すべてココにまとめて上げます。
但しよろしいものだけ。
よろしくないものについては、
己れの不快をまぁ何も他人にまで及ぼすこともなかろうということで、
書きません。
§ § §
'06.7.15 vol.23 updated
ウォー・オブ・ザ・ハーツ/シャーデー
1985
長らく更新がなかったのは、書こうかなと思った頃には既に季節が終わりかけている…というのがパターン化したことに因る。一念発起!納涼ソング3連発!!(←公約)
まずはコノ曲。コノ曲は涼しい場所で是非聴いて欲しい。
夜、冷房がよく効いた、スタンドの明かりだけの暗い室内。冷気が暗がりになった部屋の隅を、壁を伝って静かに落ちてゆくような―そんな感じの曲。そんな感じに思わせるのは、一つには涼しげなリバーブのよく効いたテナーサックスの音色であり、そして何よりオルガンのファー…。峡谷的な響きを残すアコースティックピアノがヒンヤリ度をさらに増し、必要以上に強調されたボンゴとマラカスの間、奥のまた奥のずっと深いところでニヒルでクールなヴォーカルがサーッ…と低く響き渡る。結局コノ曲、3-2のクラーべによるシーケンスパターンを中心に据えたのみで、ドラムが入ってないわけだ。それが涼しさの最大の要因かも知れない。ベースもなかなかクール。
SADE は、ヴォーカルのSADE ADU を中心としたグループの名であり、そしてもちろんSADE 本人のことでもある。SADE ADU はナイジェリア生まれのイギリス人。お父さんがナイジェリア人、お母さんはイギリス人。'85年発表の2ndアルバム『PROMISE』より。このアルバムタイトルといい、当時から大人の雰囲気たっぷりなアーティストだった。…そうかコノ曲、ベスト盤に選ばれてないのか。隠れ納涼ソングということで、亜熱帯大東京の夜にオススメ。
(2006.7.15)
WAITING ON A FRIEND/THE ROLLING STONES
1982.2.6〜3weeks No.13(US)
突如ぬるんだ日が続いたので…
ストーンズのサックスと言えばボビー・キーズと、長らく相場が決まっていたワケだが、この曲は"ジャズ・ジャイアンツ"ソニー・ロリンズがサックスソロを務めていることで有名。収録のアルバム『刺青の男』のライナーを読むと、「ジャズ系のサックス・プレイヤーを呼びたい」と言い出したのはミック・ジャガーで、ミックのイメージ発注を受け、ダメモトでロリンズを推薦"してみた"のがチャーリー・ワッツである…というような招聘に至るまでの経緯が記されている。
ソニー・ロリンズは(私の中では)ウェイン・ショーターと並んで、実にユニークでクリエイティブなプレイをする人である。その演奏スタイルは他に類を見ない―ロリンズはロリンズであって、他に彼によく似たプレイヤーが居ないのである。コノ曲のソロも、ジャズ・イディオムを随所に用いながらも、しかしコテコテのジャズアプローチはなく、ましてロック/R&B/ポップスetc.における8bars、16barsソロの定型など欠片も踏んでいない。どちらの文法からも外れた"ロリンズ"という名の特有のプレイを、十八番のカリプソ風リズムに乗せて滔々と吹き切っている。目玉が飛び出すような超絶技巧や必殺フレーズが繰り出すワケでもない。ただフレーズのひとつひとつがおそろしく適確なだけのソロである。あともう一曲「Neighbours」では、ぶっ飛び・変態・怪気炎ソロを見舞って、ストーンズとすっかりイイお隣サンになってしまっている。不思議だ…
屈託のないキースのギターとミックの煌めくファルセット、そしてニッキー・ホプキンスの天国のような響きのピアノが脱力と恍惚を誘う、"風呂上りのような"一曲。最高にパラダイスな響きがする、最高に能天気なテナーサックス。Re-mix by ボブクリ!
(2006.2.15)
'97年・アメリカ
監督: | クリント・イーストウッド |
脚本: | ジョン・リー・ハンコック |
原作: | ジョン・ベレント |
出演: | ケビン・スペイシー |
ジョン・キューザック | |
ジュード・ロウ 他 |
ハンバーガー"隧"道で『フォレスト・ガンプ』を観たという話をしたが、そこから派生して、コノ作品。クリスマス・パーティーが舞台なのでホントは12月に推賞すべきだったが、ま、一週間遅れのアップということでお赦しを―
『フォレスト・ガンプ』('94)は、フォレストがお行儀よくベンチに座っているシーンから始まる。幼なじみのジェニーに会いに来た彼が、彼女の手紙の指示通りにバスを待っている―という設定であることが映画も2/3を過ぎた頃にようやく判るのだが、このベンチのシーンの舞台が米南部ジョージア州の小都市サバナ。『真夜中のサバナ』も同じくこのサバナの街が舞台。土地の大富豪が毎年豪奢なクリスマス・パーティーを催しているというので、NYから雑誌記者がその取材に訪れるのだが、パーティーの夜に富豪宅で殺人事件が起きて、取材はその謎解きに変わる。殺人は故意か正当防衛か―。
基本は地方都市を舞台にした法廷モノである。しかし何かびっくりするような事実が隠されているワケでもなく、淡々と裁判の経過を重ねながら、一方でコノ異常に保守的で土俗的な南部の小都市に暮らす奇妙な住人たちの姿にスポットを当てている―実はこっちの方が主題。富も名誉も手に入れた大富豪が夜な夜な、しな垂れた樹木が鬱蒼と生い茂る墓地にブードゥーの女祈祷師の御託宣を聞きに行くという、因習深くも滑稽な話。「保守的」で「土俗的」、しかも「因習深い」などと聞くと横溝正史の世界を想像するが、そこまでオドロオドロしくはない。むしろインテリな雑誌記者は浅見光彦的か(ってあんま観たコトないんだけど)。そもそも職業がともにライターである。このライターは探偵役と言うより狂言回し、いや、サバナの街の案内役というのが適当な役回りで、観客は彼のよそ者目線を借りてコノ美しくも奇妙な街を仮想体験する。
俳優はクセ顔揃い―まずNYから来た記者、ケルソー役のジョン・キューザック。鼻の下の伸びたのっぺり顔で、ともすればスケベ野郎に見えなくもない、あまり好きなタイプの顔じゃなかったんだけど、"疑いで一杯"のまなざし、顔で笑って目は笑っていない表情、ポカンと口を開け唖然とする表情など強烈にはまり役。ケビン・スペイシーも脂ぎった野心家の大富豪ジム・ウィリアムズを貫禄たっぷり、微塵の隙無く演じ、殺される暴力的な青年ビリーを演じるジュード・ロウは『A.I.』(未見)で一度もまばたきしなかったという恐るべき眼力をこの作品でも遺憾なく発揮、メグ・ライアンをぽっちゃりさせた感じのクラブシンガー、マンディは監督の実娘アリソン・イーストウッド。そしてピーター(池端慎之介)も霞むパーフェクトなレイディ、シャブリ・ドゥボーを演じるのはレディー・シャブリその人。この映画、事件関係者ならびにサバナの住人多数が、本人役またはエキストラとして出演しまくる。
常に話し手を正面から捉え、聴き手を映して、奇をてらったり変わった効果を狙ったりなどといった小細工の一切無い正攻法なカメラワークで、画面がすごく見易くて、分かり易い。被写体を大写しするカットの多い割に暑っ苦しいところが無いのは監督特有の手法だろうか。イーストウッド監督の作品は(って数本しか見たことないんだけどサ)、常に画面の中を澄み切った空気がスー…と流れているようなクールなところがある。作品全体に亘って透徹した視点がピンと一本通っているのだ。それが『ミスティック・リバー』ではちょっと"北"過ぎて、少し"痛い"感じがするんだけど、コノ作品だと南部のぬるい空気の中で適度にふやけて、巧い具合に馴染んでいるような気がする。そのゆるんだ空気の漂い方がすごく好きな作品。
なま暖かいタイトルの感じもすごくイイ(原題は"MIDNIGHT IN THE GARDEN OF GOOD AND EVIL")。あとクルマを運転するシーンはボンネットがやたら強調されるのが特長。南部のクリスマスは暖かいとみえて、夜でも半袖OK、虫も鳴けば蛙も鳴いている。この寒〜い冬に暖を得るには最適な作品かも。
(2006.1.1)
スリー・ヴューズ・オブ・ア・シークレット/ジャコ・パストリアス
1981
天才ベーシスト、ジャコ・パストリアスと天才ハーモニカプレイヤー、トゥーツ・シールマンスの競演。誰がこんな取り合わせを考えたのか、はたまた互いの引力が引き寄せあった結果なのか…。
幅広くみなさんに解かるよう、まずジャコ・パストリアス―こういう人こそ真の天才と呼ぶのだろう。ジャコがどんな音楽を聴き、どんなベーシストに影響を受けたか…などという考察がまったく無意味なくらいに、ジャコは初めからジャコであった。ジャコの前にジャコなく、そしてジャコの後には無数のジャコが続いた。音楽史上にある日突然現われて、そして風のように去っていった―そんな人。トゥーツ・シールマンス―これまた唯一無二、たぶん突然変異的に発生したのであろう超絶なハーモニカ奏法の使い手。超絶だけどおじいちゃん。なので日本なら人間国宝級(産はベルギー)。昔からすでにおじいちゃん。なので是非一度ブルーノートで間近に観ておきたいおじいちゃん―そんな人。
'81年『WORD OF MOUTH』2曲目。この『WORD OF MOUTH』のジャケが、定点に据えたカメラがとらえた太陽の一日の動きを分割写真にした幻想的なコラージュで、表ジャケが水平線に没しそうで没しない太陽(白夜か)、裏は湖面だろうか、白く照り返る水面の上を南中し、やがて西に傾く太陽。北方を思わせる地形と輝く太陽が、低い高度で白く光る冬の太陽の眩しさを思わせて、毎年ちょうどいま時分によく聴きたくなる。
曲調は「冬」というよりも「空」だね。8分の6拍子の優雅なシンバルレガートの上でヒラヒラと舞うトゥーツのハーモニカを聴いていると、真っ青な冬空の更に上、どこまでも続く真っ白な雲海の上をゆらゆらと浮遊しているような、そんな画が想い浮かぶ。雲の上を散歩―って感じかな?キアヌ・リーブスは『雲の中で散歩』だっけ?観たことないけど。天才2人によるこれぞ天上音楽。ブラス、ストリングス、さらには混声合唱まで加わる壮大なオーケストレーションで、快適な空の旅に是非聴きたいゴージャスな1曲。
(2005.12.24)
SAY IT ISN'T SO/DARYL HALL & JOHN OATES
1983.12.17 No.2(US)
気が付けば世の中すっかりクリスマス…しかし私は一向盛り上がらない。ナゼだろ…普通に考えたらごくごく個人的な"気分"の範疇として片付くべき問題なのだろうけど、しかし或いは司馬遼先生がよく使われる「時代がそんな気分だった」りするのかも…とか思ってみたり…
彼是10年以上も前から、12月25日までのコノ時期を「いかにクリスマスソング無しに過ごすか」ということに私は意を傾け続けてきた。街中に氾濫するクリスマスソング…そりゃあサンタさんのプレゼントを楽しみにしているよい子のみんなや隣のお姉さんも居るだろうが…やっぱダメだぁ〜!今日もフラと近所のスーパーに入ってみたが…チープなエイトビートの「ジングルベル」を聴いた途端にヘドが出そうになり、且つ何の工夫も無い品揃えに対する失望も加わって、一目散にスーパーを後にした。さりとてクリスマスという国民行事自体を呪うべき理由は無い。私はただ世間を埋め尽くして止まないクリスマスソングの公害から逃れたいと切望しているだけであって、ソコさえ何とかなればクリスマス商戦に多少乗せられようが、イエスの誕生日の祝福抜きに浮かれ気分に浸ろうが、その辺は寛容にOK!てなワケで私が10年来(もっとか)考え続けている課題は「非クリスマスソングでクリスマス気分に浸る」コレである。去年推賞した「夜の街へ」もその有力な一曲で、これから紹介する曲もクリスマステイストなnotクリスマスソングである。
クレジットが一切無く、誰の手になるサウンドなのかさっぱり判らないのだが(この頃から既にボブクリかな?)、H&O得意のソウルでメロウな世界をタイトなドラムとシンセベースが下からガチッと固めている。コレぞROCK'N SOUL!タイトルどおり内容は決してクリスマス向きなハッピーな曲ではないのだが、やはりH&Oお得意の、2枚目半的ダサかっこ悪い男の思いをメチャかっこよくキメている。で、どの辺がこの上なくクリスマス的なのかと言うと、終始現われるシンセの八分音符のシンコペね。彼らが意識したかどうかは判らないが、クリスマスソングの不可欠要素のひとつ「鈴の音」に通ずるところがあって、更に言えばこのスピード感と言うかタイム感は、電車に乗りながら聴くと窓外を流れる景色にものすごくよくハマって、気忙しい年の瀬&クリスマス騒ぎの只中に身を置いていることが何だか爽やかに思えてくる―そんな曲なのである。冬の朝、通勤通学時に聴くのがオススメかな?ジョン・オーツのCOOLなクリーントーンが、殺人的混雑に浸かってスッカリ汚れ切ったあなたの身と心をスッキリ洗い流してくれることだろう。
ホール&オーツは秋から12月のヒット曲がそもそも多く(制作サイクルと関係があるだろう)、コノ曲もチャートインは'83年の10月29日、上り詰めて同年12月17日から3週間最高位2位をキープして終わっている。ちなみに1位を阻んだのはP.マッカートニー&M.ジャクソンの「Say Say Say」。2位が「Say It Isn't So」で1位が「Say Say Say」…洒落かいな。今聴くと明らかにコッチの曲の方が良いでしょー!極めて不運である。
(2005.12.11)
「スイスで美味しいものはヘフティに代表されるチョコレート!でもそれだけではありません。乳製品、とりわけチーズはフランスやイタリアに負けない歴史と品質を誇っています…」てなコトで創業1925年、スイスチョコレートの"HEFTI"が2003年に創めた妹ブランド、HEFTI JEUNESSE。チョコレートとチーズケーキのお店。世界一号店がジェイアール名古屋タカシマヤという不思議…。ついでに言えばヘフティの海外一号店も松坂屋本店とな…('91)。君は名古屋と何の関係があるのかネ!!
出会いは今年5月、千なり以外の名古屋みやげを探して回っていたとき。小ぶりなチーズケーキバー。アメリカンとは違うキメ細やかさ。チーズ特有のイガッとした酸味が皆無で、代わりに上質なクリームチーズの穏やかな風味と甘味が、チーズらしいしっとり(あるいはじっとり)とした粘りの中に可愛らしく香っている。126円。アールグレイやらオレンジやらあるが、小細工無し・直球勝負のプレーンが一番!
(2005.12.10)
昨年仙台に行った際に、職場の人から「お土産にはぜひ"えいたろう"のなまどら焼を…」と言われたのがきっかけでお知り合いに。「えいたろう」と聞いて「榮太樓」を思い出すのが一般的な思考だろう。榮太樓は安政四年(1857年)お江戸日本橋に創業、「今も変わらず江戸菓子の本来をお伝えしております」という、飴で有名な和菓子の老舗。屋号は創業者の幼名に因んでいる(幼名榮太郎)と聞くと、前掛けした小僧さんの姿か何か想像されて、妙に可愛らしく思えてくる。さてその株式会社榮太樓總本鋪と繋がりがあるのかどうかは知らないが、上で言う「えいたろう」とは「創業以来約百年、榮太楼は歴史薫る港町塩釜の菓子舗として匠の技、味づくり、おもてなしの心を大切に受け継いで参りました」という塩釜の菓匠榮太楼のことである。
で、このなまどら焼―なにぶん生菓子なので、流行りのお取り寄せでもしない限りなかなかお目にかかれない…と思ってたら、ふと横浜そごうで扱っているのを見かけて約一年ぶりの再会。皮もクリームもふわ〜っと驚嘆モノの柔らかさで、一体どうやって作ってんだろ??などと考える間もなく「アッ」という間になくなってしまった。これじゃ推賞どころじゃないワナ!一応作り方→「原料は、厳選した生クリームと北海道産のあずきを使い、真心いっぱい入った中あんを蜂蜜とお酒をたっぷり含んで焼き上げた皮ではさんで…」って今回引用ばっかりだな。引用五行説…なんちゃって。
画像は栗味。やっぱり淡いあずき色がキレイな普通のなまどらがイイよね。近日差し替えます。1ケ 147円!
(2005.11.15)
GONE WITH THE WIND/ART TATUM-BEN WEBSTER
-RED CALLENDER-BILL DOUGLASS
1956
その昔深夜番組で、ウディ・アレンの『セプテンバー』という映画をやっていて、劇中『アート・テイタム〜ベン・ウェブスター・クァルテット』がかかった。こういう「観るとは無し」の映画というのは妙に頭に残るものである。確か―親友数名が郊外の一軒家で休日を過ごす話だったと思う。その夜、遠雷の低く鳴る中、突如家中の明かりが消える―停電したのだ。暗闇の中、居間で誰かが蓄音機にレコード盤をソッと乗せると…。かかるのは「MY IDEAL」という曲だったらしい(覚えてやしない)。ちなみに『セプテンバー』と『アート・テイタム〜ベン・ウェブスター…』の関係について触れている日本語サイトは、わずかに1件しかなかった(Google調べ)。なので当サイトが2件目―?
今回推賞するのは緊張をはらんだ響きではじまるアルバム1曲目。「古雅」という言葉こそぴったりな曲。たとえるなら、オシャマな洋ネコが尻尾を振り振り意気軒昂、オスマシしながら揚々歩いている―そんな堂々優雅な曲である。ポンポンと軽快なスウィングビートの上でコロコロよく転がるアート・テイタム(pf)のタッチは実に華麗で色彩に富んでいる。ハンク・ジョーンズは初めてアートを聞いたとき「手が3本あるんじゃないか」と思ったそうで。実に端正で、そして一点の曇りもない、自信と円熟に満ちたアートのこのプレイは'56年9月11日に録音されたものであるが、しかしその年の11月5日には既に彼は帰らぬ人となっている。今からちょうど50年前の出来事―
アートがふた回し弾いたところでベン・ウェブスター(t.sax)が真打登場!と呼ぶに相応しい貫禄たっぷり、でも出しゃばり過ぎない絶妙の入り(コレにはアートのさり気ない繋ぎも一役買っている)。ベンはサブトーン(絶えずブズゥー…と口のヨコから空気を漏らしながら音を出す奏法)の名手だが、このプレイ、なんだかオジサンぽいというか、イヤラシイというか(ムード歌謡の世界をご想像下さい)、大概そういう「クサみ」のあるものなのだが、しかしベンのプレイにそんな臭気はなくて、代わりに大きく包み込むようなやさしい音色で、温かく、やさし〜く歌い聞かせてくれる。"ウラ"に回ったアートのピアノも聴きモノ。虫の音たのしい秋の夜に―ではなく、夏の賑わいと彩りのすっかり褪せ切った"色のない夜"に、暗くした部屋でソッとかければ、ストレス社会にギスついた心の隙間に"ポッ"と飛び込んで来る―聴けば必ず小さな幸せを運んでくれるであろう、そんな曲。
色のない、"白い"秋の夜に―暗闇の中、居間で誰かが蓄音機にレコード盤をソッと乗せると…奥の部屋から"お母さん"の家中に響き渡る頑固な声―「なんてレコードなの?」「『アート・テイタム〜ベン・ウェブスター・クァルテット』ですよ、お母さん」「どっちがアート・テイタムでどっちがベン・ウェブスターなの?」
(2005.10.5)
結局先月は推賞できず、ひと月空いての推賞と相成り―。「トルト」とはタルトのこと。昔ながらの呼び方をコノみなと横浜の老舗は今なお守り続けている。コノ店の最近の広告や紹介記事を見ると、洗練されたイマドキなケーキが写真を飾っているのだが、コノ老舗にそんな今風なセンスなど似合わない。なにせホームページすらないのだから。
小さい頃大好物だった。時を経ていまなお好きな菓子ではあるが、はっきり言うとイマドキもっとずっと美味しい食べ物は世の中に溢れ返っているので、コノ程度の菓子なら極端な話、コンビニのデザートにさえ軽く打ち負かされてしまうことと思う。ではなぜ推賞に載せたかと言うと…それでも今日なお独特で在り続けているから。もし10年前にオープンしたパティシェリーがコノ味なら2005年の現在、店はとっくに無くなっている筈である。明らかに時代遅れのコノ味…それが今日なお存在を許される、その理由は…それこそが"老舗"の実力なのだろうと、私は思う。永年築き上げた信頼と実績―いまやコノ味こそコノ店の看板であり、信用であり、保証なのである。老舗偉大!!
大正13年創業。当時の店名はKIKUYA BAKERY。戦前・戦後、パンを焼いていたそうだが、はて、パンなど置いてあったかな…気にしてみたことがなかった。ココのスポンジはスポンジという言葉がふさわしくないくらいに重くて硬い。だからこそむしろタルトの生地は向いている。とは言えイマドキのしっとりとした潤いや豊かな風味はなく、ポクポクとして、ただ平面的に甘い―そんな生地なのではあるが。でもこのトルトをイマドキの上質な小麦粉で作ってしまったら、トルトでなくなってしまう。蜂蜜で煮込んだスライスアーモンドが何重にも乗る。この引っ付くハニーな感じがコノ菓子最大の醍醐味であり、蜂蜜の生地への滲み方がポイントである。滲み込めば滲み込むほど美味しいように思う―実際にはそうで無いのかも知れないけれど、しかしそんな幻想を抱かせる、そういう菓子なのである。一番美味しいのは"耳"の部分。ココもカリサクッとしているより、若干ウェットになっている方がより美味しい。
喜久家と言えばラムボールが有名らしいのだが、私の中では断然アーモンドトルトである。お値段―我が幼少のミギリからほとんど変わらぬ\231。ホールも2,000円前後と安いうえに見栄えもするので、ちょっとした手土産には持って来いだ。元町の本店には売り場の横に、それこそ"喫茶室"と言う言葉がぴったりなコーナーがあって、ケーキ同様の安い価格で飲み物が楽しめる。2階にはいまだ上ったことはないが、昭和40年代の日本映画に出て来そうな魅力的ならせん階段の先には、きっと埃っぽくも懐かしい光景が待ち受けているに違いない。そうそう…老舗だけあって本店の店員はみな年季が入っており、老舗に相応しいふてぶてしいサービスで対応してくれる。まぁ老舗ならではでしょう。
(2005.5.16)
去年の秋「カルフール、日本撤退か」というニュース噂が流れて以来、アップを急がねば…とずっと懸案だった一品。ところがコレが難しくて…
今まで食べた中では一番美味しいような気がする―表面の皮(クラスト)は適度な張りと硬さで、サクサクッと一発で噛み千切れるキレの良さ。側面の細かなひび割れがそのカリッとした軽快な食感をよく物語っている。中は大きな気泡がポコポコ開いていたりなどせず、ぎっしり身の詰まった、ギュッと凝縮された感じの生地。フランスパンなんだけど、生地の弾きが強過ぎてなかなか噛み切れないとか、皮が硬く張り過ぎてつい口の端を切ってしまいそうだとか、そうしたシナシナした食べにくさがないのが良い。小麦粉の香りはそれほどせず、やや強めの塩味。この食べやすくアレンジされたフランスパンの歯ごたえを味わいながら、間に挟まれためんたいこペーストの風味を楽しむ。出来立てアツアツだとめんたいこ特有の"アノ匂い"が周囲にふんぷんと立って、メチャメチャ食欲をそそられる。その匂いの良さ以外、別段どうというワケでもないめんたいこ…なんだけど、辛味や苦味が不必要に強くない分、風味の良さだけが活きて、かえって味の魅力につながっているのかも知れない。
カルフールはスーパーマーケット(仏蘭西の)なのだが、しかしその辺りを決して見くびってはいけない―広い売り場ゆえか湿度管理がイマイチなので、デニッシュやパイなどは持ち帰ったらオーブントースターでちょっと温めてから食べるとよい―生地のパリパリサクサクを口にすれば、このパン売り場のパンがソンジョそこらの町のパン屋よりよっぽど美味しいことがわかる筈だ。めんたいこフランスも同様に軽く温めて食べれば、冷えて縮んだ生地が緩んでカリッとした焼き立ての食感に戻り、断然おいしさが増す。焼き立てで並んでいることが多いので、買ってすぐ食べるも良し。\189―またも低価格グルメ。でもオススメ。
(2005.3.5)
ヘイ・ナインティーン/スティーリー・ダン
1981.2.14 No.10(US)
大いなるムダ曲。全編スキだらけ・穴だらけのスッカスカのサウンドを、澄まーした顔して淡々と5分も演り続ける―そんな曲。なんの意味があるのか?意味なんかないんだよーちみぃー!
ドンシャリ(高音域と低音域が際立ってはっきりしている音質)なドラムが曲のアタマからフェードアウトまでひたすら基本のエイトを叩き続ける。一聴単調なれど、キック(バスドラ)とベースパターンのビーッタリジャスト感が、グイグイ前に引っ張るビートを生み出して、それはそれはたまらなく気持ちイイー!濃淡のはっきりしたタテのリズムに対して上に乗るギターとエレピの音色は、今にも消え入りそうな淡〜いトーンでささやかにコード感を添える。そこに割って入るドナルド・フェイゲンの変な声…
途中3度繰り返される、
The Cuervo Gold |
The fine Colombian |
Make tonight a wonderful thing |
というフレーズ。"Cuervo Gold"ってナンノコト?と長年首を傾げ続けてきたんだが、なんのこたぁない、テキーラの最もポピュラーな銘柄らしい(クエルボ・ゴールド:ハリスコ州テキーラ町の大手メーカー、クエルボ社がつくるテキーラ。樽熟成品による、まろみのある味わいをもつ)―酒飲みじゃないので知らなんだ。にしてもテキーラってことは原産国メキシコ。なのにナゼ"The fine Colombian"?…ナンノコッチャ??いや、意味なんかどーでもよいのだよ、意味なんか。
圧巻はラスト―
特に気合の入ったアドリブが聴かれるワケでもなし、ただ何だかよくわからぬ"間"が終わり1分半続く。この時間に特別な意味などないのだ。彼らは「ただ気持ちイイから」プレイを続けている…きっとその程度の理由しかないのである。惰性で続けているようなこのムダさ加減…大好き!!それでもちょっとだけ遊んでるSynthesizer、クレジットにはフェイゲンの名しかないのだけれど、このベンドのかかった安っちくも弱々しい音色はリリコン(Lyricon:1970年代に開発された電子吹奏楽器)っぽいのだけれどなぁ…
スカした空間に響くエレピの強いタッチが、雲ひとつなく晴れ渡った2月の青空の空虚を思わせて、ウ〜ン…心地好い!…えっ?2月の青空がナゼ"空虚"?だって、どんなによく晴れてたって、外で読書しようとかピクニックしようとか、なかなかそういう気になれないでしょ?利用価値のきわめて低い青空を窓越しに見やりながら、アホみたいに一日中聴き続けることをオススメする。このクールな空気感…気持ちイイゾ〜!
※註にはそれぞれ引用元ありますが、拝借させていただいたことに感謝を表しつつ、長くなるので省略しました。
(2005.2.13)
イット・キープス・ユー・ランニン/ドゥービー・ブラザーズ
1977.1.29 No.37(US)
作者であり、リードヴォーカルのマイケル・マクドナルド―彼の声をして「ちゃんと口を開けて歌え!」と言う人もいる。一番上手いな〜と思った評は「スモーキーなヴォイス」…コレだ!その太くて鈍い声質の感じから、なんだか小回りの利かないと言うか、音域が狭"そう"で、あまり細かな音程が付けられ"なさそう"に聴こえる―というのは、聴く度いまだに思う私の印象。高音でもあまり声の太さが変わらないので普段なかなか気付かないのだが、メロをなぞって歌ってみると、実はとてつもなく高い音程を出していたりする。多分"彼"が"彼女"にやさしく語りかける歌なんだろうけど、老成している彼の声(76年当時、24歳…crazy!!)で聴くと、プライヴェートなラヴソングではなく、むしろ「人生に大切なコト、教えてあげよう」てなデッカイ歌に聞こえてくる。
Are you gonna worry |
For the rest of your life |
Why are you in such a hurry |
To be lonely one more night? |
(ン)パドドンパ・(ン)パドドンパ・(ン)パドドンパ・・・というリズムボックスの安っちいパターンで始まるこの曲、ブヨ〜ンとしたリバーヴの中に次々現われるクラビやシンセもオモチャみたいな音で、機械的かつ無機質(でも遊び心のある)、そしてダブルタイムフィールな世界感が曲を終始。それがAメロ―歌が入ると、キーボードはコードを四分音符でアタマ打ちするようになる。このアタマ打ちのリズムが歌詞に妙な説得力を与え、マイケルの歌…と言うか語りをグッと引き立たせる。歌が止むとまた例のシャカポコに戻り、歌が入ると四分打ち…この辺の対比は心理効果として何気に見事。
I know what it means to hide your heart |
From a long time ago− |
最も動きがあるのはCメロ―てか"ブリッジ"かな―ここでコードが大きく動いて、サビ前の昂揚と緊張を作り出す。いわゆる"タメ"。そしてサビ―ほとんど音程の変わらぬ"It keeps you running, Yeah--It keeps you running"の繰り返しがkeeps you running感を見事に表現している。延々に、グルグルと、何かに囚われたかのように―It keeps you running...
ちなみにコノ曲、カーリー・サイモンが『見知らぬ二人』というアルバムでドゥービーズをバックに歌っている(コノ曲の邦題「孤独な天使」)。発表時期もほぼ同じ。すごーく聴いてみたくなったのだが売ってないのよねぇ…と思ってたら渋谷のTSUTAYAでレンタル発見!で、私はコノ曲を輸入盤でしか持っていないので対訳を確認してみたくなり、まず『ベスト・オブ・ザ・ドゥービーズ』を見てみたところ、It keeps you running が「君は逃げ続ける(僕から逃げる)」と訳されてる…えっ、そんな歌なの…??と激しく意表を衝かれ、肩を落としつカーリー・サイモンの方を見たら、いかにも彼女が歌いそうな「それがあなたを走らせているのね」という力強くも包容力を湛えた訳詩になっていた。そりゃーそーだろー、なんぼマイケル・マクドナルドでも「僕から逃げる」じゃぁまるでストーカーみたいじゃないか!とてつもない誤訳。長短のよく分らぬコード進行、深目のリバーヴ―晴れてるのに日が差さない薄晴れの日に、我がルームランニングな人生を思い重ねつ聴くのがオススメ。後期ドゥービーを代表する一曲。
(2005.1.23)
悲しい女/ボブ・ウェルチ
1978.1.7 No.8(US)
名手リンジー・バッキンガムが爪弾く琴のようなギターのアルペジオを聴いていると、3小節目くらいでじわーっと目の前がにじんできて涙が止まらない。あぁ…どうしてこんな音が出せるんだろう。この世のものとは思えぬ美しさ…絶品!!そしてフェルマータの静寂を破るミック・フリートウッドのフィルイン。深くて乾いたリバーヴ、そして一発目のタムの割れ方…もうこれ以上考えられないくらい、PERFECT!我がイントロKOの一曲。クリスティン・マクヴィーのバックヴォーカルも抜群!間奏で聴かれる角のない丸いエレキーギターは、もちろんリンジー。
ボブ・ウェルチ―英国のブルースバンド、フリートウッド・マック最初の米国人メンバー。71〜74年の間ギターとヴォーカルを務め、マックのサウンドにアメリカ的なポップセンスを与えた功労者。しかし皮肉にも彼が脱退した後、代わるリンジー、スティーヴィー・ニックスの加入によりバンドは大ブレイク。そんなちょっと不遇な彼のマック時代の作品を、売れに売れてるマックのメンバーがバックを務めてリメイクしたのがコノ曲。母性をくすぐる(?)どこか頼りな気でアンニュイなヴォーカル。そして面立ちも…。右chで鳴り続けるギターも彼…なのかなぁ?…ストロークの粒立ちの良さは絶品!この曲は総じてミックスにも優れている。個々の楽器を音数の少ない空間に大胆に浮かべ、それぞれ実に乾いているが、しかし芯のある、すごくロックな音に仕上げている。最高レベルに蒸留された最上質のポップスとして、まさに文句のつけようのない曲。ただ一点の不満は、演奏時間がたったの2分53秒…短過ぎる!あまりに短過ぎる!!リンジーの琴のようなアルペジオが、ミニマル効果をもって聴く者を永遠のリフレインに誘い込む…
Sentimental gentle wind |
Blowing through my life again |
Sentimental Lady |
Gentle one |
邦題「悲しい女」(うぅ〜む……)。
吹き抜ける一月の寒風に乗せて、世界中のSentimental Ladyに心から送りたい。
(2005.1.15)
STEPPIN' OUT/JOE JACKSON
1982.12.11 No.6(US)
せめて月一ペースで推賞せねばネ…という義務感から、12月の推賞―
アルバム『ナイト・アンド・デイ』('82)は粋でお洒落なサルサフレーバーで大都会の夜と昼を彩ったコンセプトアルバム。刺すようなピアノのバッキングと激しいパーカッションでグイグイ押しまくるA面"NIGHT SIDE"の〆として、熱〜いサルサのリズムとXフェードして、コノ曲の文字通り"無機質"な打ち込みドラムとユニークなベースパターンが浮かび上がってくる。コノ曲の醍醐味は、その長〜いフェードインの果てに、目の前でバッシャーーン!!と砕け散るグランドピアノ(&シロフォン)の高音の輝き。一音鳴るたびに、ダイヤモンドダストかモスラの燐粉が天空高くキラキラと舞い散っているかのような、まさにこれぞクリスタル!と呼ぶにふさわしい透き通って、かつゴージャスな音色が、アーバンライフにちょっと疲れた僕らのハートを浄化してくれるのである。一聴、今となってはすっかり使い古されたゲームミュージックのような展開だが、しかしその躍動感たるや何物にも換えがたい本物の輝きだ。真夏に聴いてキ〜ンと涼しくなるのも悪くないが、真冬の澄みきった空気の中にsteppin' outして華やかな夜の街を颯爽と駆け抜けるのもSO COOL!
本来ものすごーく薄い(=音数がor楽器が少ない)サウンドな筈なのに、ちっともそんな感じがしないのは不思議だ(ひとえにリバーヴの使い方だと思う)。リズムマシーンのスネアに生のスネアを重ねてダブルにしている奇妙なアレンジ。時おり入るピコッ!という電子音もCOOL!作品出すたび音楽スタイルが変わる奇才。ブライアン・セッツァーに先駆けてJUMPIN' JIVEしてみたり、彼の作品タイトルにもある通り、まさに"LOOK SHARP"なセンスの持ち主。我がコレクションを豊かにしてくれる人として、貴重な存在。
(2004.12.25)
'71年11月16日放送・円谷プロ
天気のすぐれない日がこうも続くと、ついこんな推賞を書きたくなってしまう―
陰惨な話である。ウルトラシリーズ中、いや、この国の歴代すべての特撮ヒーロー作品中にあっても屈指と言ってよい主題歌のさわやかさは、コノ回にはカケラもない。
工場地帯にほど近い河原の廃墟にその少年は独り暮らしていた―母親と死別、父を追って上京するも消息は掴めず―天涯孤独の身である。ある雨の強い夜、巨大魚怪獣=ムルチがこの孤独な少年に容赦なく襲いかかる。風土気候の調査のため地球へ飛来した宇宙人=メイツ星人がこの河原に着陸したとき、少年は恐怖と寒さと餓えのためにほとんど死にかけていた。念動力によって怪獣を地中深く封じ、少年を救った宇宙人は、少年と一緒に親子のように暮らし始めるが、やがて地球の汚れた空気に肉体は蝕まれ、いまや余命幾ばくも無い…。少年は弱り果てた宇宙人に代わり、隠した宇宙船を探すべく河原に穴を掘るがそんな様子を周囲は気味悪がり、中学生は少年に陰湿ないじめを重ね、大人たちすら「宇宙人が来たぞっ!」とあからさまに少年を疫病神扱いする始末…。ココで少年と安達祐実との決定的な違いをひとつ…見かねたパン屋の娘が少年に駆け寄り、ハイと食パンを差し出すシーンの少年のセリフ―「同情なんてしてもらいたくないな!」
すべての事情を知ったMATの郷隊員は少年とともに穴掘りを始めるが、そこに暴徒と化した群集が押し寄せて少年に危害を加える。病身を押して人々の前に現れた宇宙人。警官は至近距離から発砲し―その時、宇宙人の封印が解けて怪獣が地上に姿を現した。逃げ惑い、救いを求める人々。しかし郷は…
全編ほとんど雨。正視に耐えぬいじめの数々・心無い偏見と差別の数々は、すべてこの鬱陶しく・不快な雨空の下、繰り広げられる。河原や廃墟などの抜群のロケーション、巧みな画面構成、バッキバキに骨が折れた黒いコウモリ、ボロッボロの紙袋、時代劇な唐傘、時代劇な劇伴、そして高速道路と飛行機のエンジン音や工場の槌音などの効果音の使いどころ―これでもか!というくらい徹底した非情な演出と寒々しい描写の積み上げは、人々の助けを求める声を前に郷=ウルトラマンが思う(勝手なことを言うな。怪獣をおびき出したのはアンタ達だ)という、この話の"根幹"へと、まるでごく自然な成り行きかのようにわれわれを導いてゆく。ストーリーの素晴らしさもさることながら、全編を通し、強烈に貫き抜かれた一個の透徹した世界観―それこそがコノ回最大の見所ではないかと個人的には思う。
薄暗闇の地平に浮かび上がる怪獣のシルエットは、どんな思わせぶりな"パーツ描写"よりも怪獣というものの恐怖感をよく表現していると思う。ちびっ子(←死語)が競って集めたカードや消しゴムのウルトラ怪獣ではなくて、我々人類の自由で平和な日常を破壊し尽くす恐怖の対象としての怪獣…いや恐怖ではない【畏怖】―こわくて、そばに近づけないこと(三省堂:新明解国語辞典)―多分ごく簡単な合成であろうこの構図中の、怪獣との間のコノ距離感は、まさしくその"畏怖の念"を表しているのだと思う。ちなみに手前がメイツ星人。なお法的にはもちろんNGなんだが、まぁしかしココはそもそも半年で500ヒットもゆかぬ程度の極小サイトなワケなので、キャプチャー画像、しばらくひっそりと上げておくことにしたい。…まぁその手前、この画を見たのがきっかけで「ぜひレンタルで借りて観てみよう!」と思い立つ人が一人でも多く居てくれたら…とか何とか書き加えておくことにしようカナ?
工場地帯にほど近い河原―はどう見ても多摩川。ま、円谷プロだし。すると後半、怪獣に破壊される赤い高速道路、アレは第三京浜?しかし手に手にエモノ持って来襲する群集之図―自分が生れた頃の世の中ってあんなんだったんだろうか…と本気で考えてしまうが、実際そうした"時代の雰囲気"というのはまだ其処かしこにあったらしく…って無いよ。いや、無いだろうよ(←推量)。托鉢僧の姿をしたMATの隊長が登場するシーンが2箇所あるが、アレは飽くまで観念的・精神的な世界の話であって、別に実際に隊長自ら変装して任務に当たっていたワケではない―と信じたい。そもそも隊長は郷がウルトラマンであることを知らない設定だし。その僧侶姿の隊長が郷を叱咤するシーンは…ココだけ雨中日が差して(これはワザとであると信じたい)、実に印象的。なおストーリーばかり注目される作品だが、なんと言ってもクライマックス―ウルトラマンと怪獣の嵐の決闘シーンにはカメラが移動しながらの、アクションシーンにしては相当長時間におよぶ長回しがあって、コレはコレでなかなかの見ごたえ。
今コノご時世となっては到底作り得ない、鬼気迫る作品。冒頭の土砂降りのシーンの少年の熱演…と言うか演技も雨量も完全にドラマを超えてる!「お芝居のためなら多少濡れても平気です」とか「台本上ズブ濡れになるシーンがあるけど、イイヨネ?」とか、そんな次元ではないのだ!その半端ない作り込み様を、暖房の効いた部屋で熱いコーヒーでもすすりながらヌクヌクと…ではなく、ぜひ凍えながら観ていただきたい。
「地球はいまに人間が住めなくなるんだ」と、宇宙人とともにメイツ星へ行くことを夢見ていた少年。宇宙人の死後なお河原を掘り続ける彼の姿に、郷と誰か(多分、岸田森)の会話がかぶさる―「一体いつまで堀り続けるつもりだろう」「宇宙船を見つけるまでは止めないだろうな。彼は地球にサヨナラが言いたいんだ」
(2004.11.1)
久々の食べ物…と言うか、お彼岸に入る前に余裕をもって紹介するつもりでいたのが、アッという間に"そのとき"がやって来てしまった…
昨年十二月、友人Yに同行して大阪を訪ね、西宮在住のI夫妻に案内していただきながら市内を歩いた。で、なんば高島屋の地階に美味しいタコ焼き屋がある―というので寄った際、ふと目に留まったのがこの仙太郎という店である。ショーケースのガラス越し、大きな皿の上に、大ぶりでオ〜イシソ〜なぼた餅がボテッ、ボテッと盛ってある…イヤー、完全に魅入られてしまった!と言うワケでコノ大阪旅行の自分へのお土産はコノぼた餅に決まったのである。
京都のお店。和菓子屋なのに農園部があって、原材料の一部は自前で調達しているという、そんなこんなの心意気が懇切丁寧(かつ謙遜気味)に添え書きに記されているので、以下ほとんど丸写しする―小豆は丹波産の大納言。甘過ぎず、サッパリとしたあとくちでスーッ…と溶けるようになくなってゆく。香ばしくてなにより風味が良い。もち米は江州(滋賀県)甲賀の羽二重で八分づきにしてあるそうなのだが、そのつき方が絶妙!ひと粒ひと粒のつぶ立ちを舌で味わうことのできるぼた餅などそうそうお目にはかかれない(たいがいベチャ〜でしょ)。噛めば噛むほどもち米本来の旨味が滲み出てくるような噛みごたえだ。そしてココのぼた餅は、そのつぶ立ちの良いもち米の中に青じそを混ぜてあるのが特徴。これでさらに独特の風味になる。
東京では新宿伊勢丹や銀座三越、渋谷東横のれん街などに直販所がある。お値段\252―このコーナーで推賞してきた食べ物はどれも安物ばかり。そして今回も…と一見思えるが、いま一度考え直してみて欲しい…\252のぼた餅は十分高級品である。でもぼた餅はぼた餅、チョビチョビ食べることはない、ガボーッと豪快に…でもしっかり味わって食べてみて欲しい、252円のプチ贅沢。
(2004.9.23)
今はひとりぼっち/スティーヴィー・ワンダー
1976
計画9でお約束のもう一曲。イーグルスが夏の終わりを華やかに飾る曲なら、これから紹介するこの曲は、去りゆく夏の予感…と言うか、ズバリそのものである。
スティーヴィー・ワンダーの名実(量)ともに最高傑作でしょう、76年の『キー・オブ・ライフ』。オザケン氏辺りに言わせると、LP2枚組+4曲入りボーナスEP付というこの大作のウラには、数百曲におよぶ没曲やらお蔵入りやらがあるのだとか…スゴ過ぎ!!不世出の右脳がとにかく冴えに冴えまくっていた("神がかっていた"とも)絶頂期の大作。まさに金字塔。さらにスゴイことには、この作品の次に全米チャートの1位になったアルバムが『ホテル・カリフォルニア』なのである―"時代それ自体がキレまくっていた"とでも形容する他ない。
アナログ盤ではDISC1のB面4曲目。3曲目"Pastime Paradise"から続く「楽園の眠り」を覚ますかのようにピアノのイントロが疾駆した後、スティーヴィーの淡いファルセットが、とある夏の朝の何気ない風景を切り取って語り出す…。「いま風がそよいだか・そよがぬか」というくらいの、実に些細で日常ありふれた、小っちゃな小っちゃな一刹那に題を取って始まる曲なのだが、しかし気が付けば目の前で大きな大きな季節の"環"が、弛みなく轟々とめぐりめぐっている…。微かな空気の揺らぎ一つが、季節という名の大気のうねりへと変転する、その駆け抜けるような展開の大きさが、この曲最大の聴き所。
2番の出だしは"Winter wind..."。サビのアタマからいきなり転調。5回繰り返し、最後は♪mum-ba, ba〜m, ba〜m, wow−, ooh−!!…と、もう言葉にならない。サビのオルガンのかけ上がりを、おっ…カッコイイな…などと思ってしまったが最後、持ってかれるゾ〜。全編鍵盤楽器が埋め尽くす中、ギターの静かなアルペジオが光る。
「今はひとりぼっち」という邦題が付いていることは今回初めて知った(持ってるのが輸入盤なもんで…)。「今は」という"断わり"が、何やらこの曲を巧いこと言い表しているような気がする。
失くしものに気付くのは、いつだって失くした後―
冬が過ぎ、夏が去って、そして気が付けば "it's October"...
(2004.9.9)
TRY AND LOVE AGAIN/EAGLES
1976
さて説明不要の(特に私如き青二才の口からは)傑作『ホテル・カリフォルニア』B面4曲目に収められている曲である。全世界のロックファン、音楽ファンでこのアルバムを知らぬ者は少ないだろうから、この曲もまた当然よく知られた存在な筈である。が、シングルになった「ニュー・キッド・イン・タウン」「ホテル・カリフォルニア」のように、毎日何処かしらのラジオ局でオンエアされている―というようなこともなく、よって何処か店に入ってこの曲がかかっているような場面に、私は未だ遭遇したことがない。
上に挙げた2曲はドン・ヘンリー、グレン・フライ、ドン・フェルダーら、メンバー複数名による共作であるが(「ニュー・キッド…」にJ.D.サウザーが加わっていることは、もちろん言うまでもない)、この曲はベーシスト、ランディ・マイズナー単独による作品。ちなみに上の最初の2人は一部で「性格が悪い」と言われているようである。が、それもミュージシャンやアーティストなら誰しも持っている(と言うか、持ってないとやってゆけない)「クセの強さ」みたいなことを言っているのだろう。確かに「ホテル・カリフォルニア」も「ニュー・キッド…」も難解な暗喩に満ちてい(るらしく)て、一筋縄ではゆかぬ難曲である。こんな曲を書く連中と比べたら、マイズナーは確かに心栄えが素直で(と言うか、人並みなのだろう)、作品もその人物がにじみ出たような真っ直ぐで伸びやかなものが多いようだ(但しソロアルバムはあまり面白くなかった…)。この曲はそうした彼の資質がよく表れた秀作である。そもそも歌詞からして、重くて暗くてひねくれたアルバム表題曲などからすればはるかに単純で、わかりやすい。夏の行楽ムードを盛り上げるには持ってこいの好曲。
まずイントロのギターが真夏のスローなリゾートライフへといざなってくれる。夏空高く積み上がった入道雲を仰ぎ見ながら聴くと良い。片手にビール…じゃないな、私の場合は。コーラでもジンジャーエールでも何でも良い、とにかくよーく冷えた清涼飲料水をゴクゴク飲みながら聴きなさい。次にドン・フェルダーの軽やかなギターストロークが、たとえ汗がダラダラと止めどなく流れる炎天下にあろうとも、あなたにカラリと乾いた心地好い夏風を運んでくれるだろう。ギターに導かれてマイズナーのハイトーンヴォーカルが始まる。コーラスでさらに上をゆくのはジョー・ウォルシュか。高ーいコーラスワークがこの曲の天井をさらに高く高く押し上げてゆく。コーラスと言えば、サビ前でギターがスパッと止んだ後にサッと入ってくるサビのハーモニーの爽やかさ!間奏のギターはグレン・フライか。ウォルシュの繰り出すハーモニクスも涼しい。
作者の意図はどこにあれ、たとえ100%聴き手の勘違いであったとしても、私はこの曲をこのように愛聴…と言うより愛用している。でもライナーによれば"March - October 1976"にマイアミとロスでレコーディングしたとあるから、ちょうど夏の盛りにこの曲の作業をした可能性もあながち否定は出来なかったり…。まぁ真偽はともかく、北国ではなかなか浮かばぬ曲想だとは思いますよ。この曲を聴くと不思議と「この夏は磐石だ。きっと永遠に続くに違いない…」くらいの確信が、当たり前のように湧いてきたりするのである。しかしそうは問屋が卸さない(って当たり前か)。竹で割ったような爽快さに尽きる一曲。
(2004.9.1)
Wendy's がおいしいことに気が付いた。
市場調査のモニターやって以来、それがきっかけで興味持つようになったわけだが、よくよく考えてみたらそれまでのほぼ十年、Wendy's には全く足を踏み入れていなかったように思う。存在すら忘れていたと言って過言でないカナ?マックの味に妙に慣らされた舌からすると、Wendy's のハンバーガーはエラク美味しく思える。自慢の114g、ノンフローズン特製パティはマックのポソポソ&薄べったいソレを思えば、はるかにやわらかくてとってもジューシー!挽肉特有のクサミも少なく後味さっぱり。オニオンとピクルスは辛過ぎず酸っぱ過ぎずの程好く抑えられた味付け。トマトとレタスも素材・鮮度とも悪くない。それらを黄色いバンズに挟み込めばマイルドで、やわらか〜いテイストのハンバーガーが出来上がる。絶妙なバランスと調和を感じさせる"料理"として美味しいハンバーガーだ。クラシックシングルチーズがお薦め。294円。M・Mコンボ\567。まぁビックマックが262円(今なら創業価格\200)であることを思えば294円でこのお味は全く高くない(…と言うかマックは知らぬ間にずいぶん高くなったのネ…ハンバーガーセット\430だったら断然Wendy's をお薦めする) 。さすがにクラシックトリプルは肉多過ぎか。スモークベーコンの塩味が良いアクセントのビッグ・ベーコンクラシックも引き締まったお味で良い。ポテトは美味しいときとそうでないときの差が激しいが、美味しいときに当たると相当美味しい。ケチャップは蛇口から搾り出す変わったシステム。
で、モニターの際試食したサラダの、晴れて正式に商品化された雄姿が↑の画像。先月下旬販売開始。量あるよ〜。女子は食べ切れぬかも。このサラダにJr.サイズのハンバーガーやコーンスープ―といった組み合わせで頼んでいる人が多い模様。十分食事になりますね。4種類出た中のコレはマンダリンチキン―説明文のみによる順位付けで、私が一番にしたサラダ―グリルチキンにマンダリンオレンジ、そこにオリエンタルセサミドレッシングをかけていただく…訳せば、鳥肉にみかんにゴマだれ―つまりは冷し中華を想像していただければ…なかなかなモンです。コーヒーお代わり自由だし客層も落ち着きあるし(市場調査のモニター条件が"30代"であることからみても、ターゲットの絞り方は明確)で、居心地だって悪くない。であるのにだ。"品質こそがレシピ"を実践する実力勝負のWendy's が、さほどの人気を博していないのは何故だろう?
Wendy's のハンバーガーにはアタマに"クラシック"の文字が付く。他店のように挟む具材の奇抜さで勝負したりなどはしない(パティ以外のモノを挟む場合にはハンバーガーでなく"サンドイッチ"と呼ぶようだ)。正統を重んじた、質実剛健なつくりというところか。言わば保守的。その辺りがロゴにある"OLD FASHIONED HAMBURGERS"という言葉によく表れているように思う…具体的には、いまどきファミレスでも滅多にお目にかかれぬ赤じゅうたんが敷いてあったり、BGMにはともすればディキシーランドが延々と流れたり…そんな"アメリカン・モダン"な演出がちょっと重苦しいんだよネェ…今手にしているメニューを見ても時代錯誤な感は否めぬし。その辺が原因かな?と個人的には考える(さりとて他店のインテリアが優れているというコトではないヨ)。しかし十年前に比べると都内の店舗数は減ってるようだし、たとえば横浜をみると、横浜駅や元町に店はなく、あるのは伊勢崎町に野毛…ウ〜ム、立地自体が"OLD FASHIONED"だ(お客さん全員片耳にイヤホンしてソ)。新店オープンも郊外が多く、汐留・六本木など人気スポットへの出店はない。行きたい街に店がない!よってわざわざ食べに赴くしかない…がんばれ!!Wenco!!
…ん?アレェ??6月1日からウェンコ・ジャパン改め日本ウェンディーズに社名変更だってさ。ソリャそーだよな、ウェンコじゃなぁ…とは前から思っていたことではある。では改めて…がんばれ!日本ウェンディーズ!!つくばに店出してる場合じゃないゾ!!
(2004.6.12)
1985.5.11 No.1(US)
この曲は5月のヒット曲。
"I see you through the smoky air"というように夜の酒場を想起させる曲ながら、そよ風わたる夏草の草原にも、靄がかる初夏の朝にも薄暮にも、よく似合う清々しい曲。いかにも80's然とした固目なデジタルサウンドの中、清々しさを独り担うイングリッシュホルンの柔らか〜い音色のアレンジが秀逸!心を込めて一生懸命歌うマドンナの熱唱も爽やかだ。この曲の似合う初夏らしいお天気が回復したら、是非聴いて欲しい一曲。
映画『ビジョン・クエスト〜青春の賭け』('85)挿入曲。未見。マドンナ自身も端役で出演―なる情報を当時耳にした覚えアリ。で主演がなんと!私の大好きなマシュー・モディーン(この人の出演作についてはいずれ)。サントラのプロデュースを担当したのがなんと!我が尊崇するフィル・ラモーン…だったのが制作半ばでクビになり、代わってこの曲を手がけたのがマドンナの当時の恋人ジェリー・ビーン。確か当時コノ人自身も曲出してチャートインしてたような…さらに。作詞はなんと!カーペンターズ「トップ・オブ・ザ・ワールド」「愛にさよならを」等であまりに有名なジョン・ベティス!作曲のジョン・リンドは職業作家タイプの人らしく、この曲は彼の代表作に数えられるらしい…(詳しくは知らず)。こんな素晴らしい曲を書く人である、かつて所属していたというTHE FIFTH AVENUE BANDなども是非聴いてみたい。
マドンナが初めて野太い地声のトーンで歌った曲(←飽くまで"印象"ネ)。それまでのマドンナはMTV系ビジュアル&ダンサブル路線で、歌声もギリッギリの裏声がほとんどだったのが、この曲を契機に音程は段々下降してゆく(…多分)。そういう意味では無理のある裏声アイドル路線から所謂"実力派"シンガーへの円滑な移行を成し遂げたターニングポイント的ナンバーであると言えよう。
そんなことより注目すべきは、この曲はあの「ウィー・アー・ザ・ワールド」を全米1位の座から引き摺り下ろした曲なのである。USAフォー・アフリカの『ウィー・アー・ザ・ワールド』―飢餓に苦しむアフリカ難民を救済すべく全米を代表する大スターが集結した夢のチャリティーレコードである。長年のTOP40ファンからすればウィー・アー・ザ・ワールドの全米1位は9週も10週も続くだろう、いやNo.1の最長記録すら打ち立てるやも知れない―そう思うのが当然なくらいの、米国音楽界創始以来のドリームプロジェクトだったワケである。人気絶頂のマドンナと言えども一時的にその動向が霞むほど、世界中が"We Are The World"だったワケである(それに確かクレイジー…にはPVが無かったように記憶する)。
85年4月13日、初登場からわずか4週で楽々と1位に躍り出たウィー・アー・ザ・ワールド、翌週20日にマドンナも2位に着ける。順位不動のまま3週経過、5月4日にはついにマドンナから赤丸"上昇"マークが外れ、最早これまでか…と思われたその翌週、なんと!鉄壁な筈のUSAフォー・アフリカが2位に後退、マドンナが再び赤丸を付け宿願の1位に立った…それが85年5月11日。誰も予想しなかったであろう逆転劇だ。
ちなみにベスト盤『ウルトラ・マドンナ』収録の同曲はサントラ収録のソレよりも若干早くフェードアウトがかかる模様。もう一節ほど長かった記憶が。あと一つ。歌詞が知りたくてWEB検索するもヒットせず、諦めかけていたら10年くらい前にワープロで自分で打った歌詞カードが出て来て、思わず泣きそうになった…
(2004.5.20)
'76年・アメリカ
監督: | マーティン・スコセッシ |
脚本: | ポール・シュレイダー |
音楽: | バーナード・ハーマン |
出演: | ロバート・デニーロ |
ジョディ・フォスター | |
ハーベイ・カイテル | |
シビル・シェパード 他 |
海兵隊を退役したトラビスは不眠症に悩み、タクシードライバーになる―「夜の貧民街を走れるか?」“anytime, anywhere”「祭日でも働くか?」“anytime, anywhere”―夜通し働いてなお眠れぬ彼は、鬱積するエネルギーのやり場を求めて掃きだめのような夜のニューヨークを走り続け、やがてある"計画"を思い立って、その遂行に没頭してゆく…
とにかく雰囲気がたまらなく好きな映画。ずっーと浸っていたいゆる〜い空気。
"May 10th"という日記の書き出しで始まるこの映画はそう、ちょうど今時分(5月)から7月初めにかけての話(実際の撮影は真夏に行なわれた)―映画の中の季節に合わせて、空気を肌に感じながら観ていただきたく、お薦めする次第。
ニューヨークに、まして舞台となる5〜6月のニューヨークになんて一度も行ったことはないが、同じ北半球にある都市(確か緯度は秋田と同じくらいか)なので多分、日本の気候とそう大きくかけ離れてもいなかろう…と信じる。寒くもなく暑くもなく、ちょうど良い気候のこの季節。夜もシャツ一枚で過ごせる開放的で活動的な生あたたかい空気の匂いに誘われて(水気の多い、白〜い空気ネ)、人々は街角に繰り出し、街は夜も昼も喧騒に溢れ返る…そんな中ただ独り、悶々と鬱屈を抱え、やがて弾ける男の話である―全編から匂い立つ、都会の生あたたかな空気の感じがたまらなく心地好い。"計画"の準備に夢中なトラビスの姿に、開け放たれた窓の外から通りの雑音が、子供たちの遊ぶ声が、重なる。
"弾(はじ)ける"と言っても彼は本来、至極生真面目な男なので、フランス映画のように不条理でなく、無差別テロのように非人道でもない。結果的にはある種の"純愛"を貫いたとも言えるだろう。その点、リュック・ベッソンの『レオン』に、薄〜っすらとでも影響の跡が窺えないだろうか?(一切根拠無シ)
音楽が素晴らしい。巨匠バーナード・ハーマンの遺作―ながら、不勉強にも私は『サイコ』しか知らないです…陳謝―甘美なアルトサックス、ハープのアルペジオ、低弦のピチカート、スネアロール、ミュートトランペット…ときに内向的な、ときに極度の緊張を帯びた響きが、トラビスの病める内面とみなぎる"狂気"を巧みに描き出してゆく。モチーフはそう多くない。繰り返し現れて、彼が唾する悪に満ちた大都会の光景を、華やかに、艶やかに、そして妖しく彩る―そう、この映画の語り口は、描かれる世界とはまるで裏腹に、実に流麗で叙情味に富んでいる。そこがミソ。
横移動を多様したカメラワークももちろん見事!"タクシー"という設定をフル活用したおいし〜いインサートカットの数々はどれも印象深く、ハーマンのスコアとこれ以上無いまでの融合を見せる。暗闇に浮かび上がるバックミラーのカットは垂涎モノ!
無論ガリッガリのデニーロが来まくってるコトはあらためて言うまでもなかろう。この映画のデニーロを観る度、いつも思うのだった―every muscle must be tight!
(2004.5.1)
JR常磐線/京成金町線、金町。
生活圏でも行動圏でもないこの街、
今年の正月ぶらっと柴又に行ってみたくなり、途中寄った。
南口の商店街"ベルシティ"のアーケードをくぐってほどなく、その店は現れる。お世辞にもキレイとは言い難い店構え。入り口に組まれた赤い雛壇の上に、無数に並べられたサンプルに、妙に惹かれた―当たるも八卦・当たらぬも八卦、旅の恥は掻き捨てヨ…第一印象を信じ、コノ店で遅い昼食をとることに。ところが午後3時前―しかも正月3日の3時前だと言うのに、カウンター席しかない狭い店内は満席である。席が空くまでしばらく待つ。そんな様子を見てか、さらに後続主婦4人。先んじて入っておいて良かった。―席が空く。鴨南うどんを頼んだ―"年始"なので(えっ?理由なってない?)。さらに待つこと暫し、やっとありつけた鴨南…!!
下手な蛇足をしよう。店名が「四国大名」だけあって讃岐うどんが基本のようである。コシの強い麺は自家製―そう、立ち喰い風の店なのに自家製の手打ちうどんなのだ。それだけでも嬉しいではないか!常連と思しき客は冷しやもりなど頼んでいる様子。麺だけでも十分イケてしまうワケだ―さらに。だしのよく効いたつゆ。そこへ鴨肉の旨味が流れ出し、一段と甘く豊かな味わいに―おまけに。にんじんはきちんと手をかけて程好く甘く煮付けられ、上に乗る白ネギはシャキシャキと食感にアクセントを添える…いやぁ正月早々、思いがけず良いものをいただきました!これで400円は値段以上の価値。(2004.3.27)
まず最初にコレ、なかなか売ってナイ。
常置しているお店が近所にあるアナタは幸せかも。
日清シスコという会社、
他商品を調べてみるとココナッツサブレ、アレがそうだった。
あとは最近チョコフレークも森永に混ざって見かけるようになったか?
要はチョコフレークを固めたモノ。それだけ。
されどただそれだけのコトが、とんでもなく美味!
チョコフレークより十倍美味しい。
チョコフレークよりチョコレートの味がギュッと凝縮されており、
クランチチョコよりパリパリ・サクサクな歯ごたえが気持良い
("crisp"とはその意)。
内容量「8個」と記載されているが、開けると中は大きな円盤状チョコ1枚、
それが8等分に切り離せるようになっている。
ついつい手が伸びてしまうが、結構な食べ応え。
女性は一回で食べ切るのは無理でしょう。
大学時代、セブンイレブンでアルバイトしていたとき、初めて知る。
以後"お気に入りに追加"されるが、しかしバイト先のセブン以外ではまるで見ない。
バイトを辞めて後、長らく忘れていたが、つい先頃、近所の安売りスーパーで再会!
ところが喜びも束の間、どうやらライバルが多いらしく、すぐ品切れになってしまう上、
次の入荷まで一週間近く間が空く発注体制の拙さ…。
現在オマケもないのに箱買いも検討している。
お値段―記載ナシ。近所のスーパーでは99円。
それを下回る値段も一度見たが、大体そんなモン。(2004.3.13)