前回曇りについて書いたおかげで曇りと言うか雲が好きになってしまった。ちょうど今年は台風が多く(サーファーはウハウハらしい)、関東地方は直撃こそなかったものの、通過の影響により風の強い日が続き、その度に速い風の流れに乗った、さまざまな形の雲の往来を見ることができた。そんな曇り空なら一向退屈することはない。前回言っていたのはピクリとも動きの無い、最悪の曇り空を想定しての話である。救いようも無く退屈な一日をいかに楽しく過ごすか―ということを、2年後カフェでは常に考えているのだなと思っていただけたら…
ここまで来たついでに季節も…なのだが、もう真新しい説明はほとんど出てこないと思う。朝昼晩や天気で語ってきたことの応用と繰り返しで説明できる…んだけど、それでもザッとしておくと、季節も「春!」「夏!」「秋!」「冬!」という具合に「!」のつくようなわかりやすいものは、表現するのが容易い。難しいのは「季節と季節の合間」とか「季節の変わり目の微妙な時期」―なワケである(例によって)。たとえば3月―気分的には「春」なんだけど、はやる心とは裏腹に、暖かな陽気を楽しむにはまだ早い。天気も変わりやすく、朝晴れていても午後から雲が出て寒くなる日も多い。冷たい雨も降る。それから「桜が散ってからツツジが咲くまでの間」とか。夏の終わりとか。この辺は難しいと思う。特に最後の夏の終わり―私自身、大の夏好きということもあって、今回いつもより個人体験の割を増しながら、この難題について語ることにする。
夏好きは夏が終わるのがすごく淋しい。できればいつまでも終わらないで欲しいと願ったり…。なんなら一年中ずっと夏でも構わないと思ったり…。常夏である。エヴァンゲリオン状態である―と、これくらい偏った考えをごく普通に持っている(自分だけか)。所謂「エンドレスサマー症候群」である(←ウソ。今つくった)。しかし淋しがるのも無理はない、夏そのものが一年を通じて最も華やかな、極彩色の存在であるだけに、その終わりは一層淋しさを呼ぶものなのだろう。
8月が終わって再び授業が始まる「9月」という月は、夏好きにとって確かに不快な時期である(いきなり話題は学校に…)。私的体験で言えば、体育祭の練習で影ひとつないだだっ広いグランドに何時間も立たされ続けたときの、夏をまだなお引き継ぐジリッとくるアノ日差しと、夏らしい豪快な風も秋らしい爽やかなそよ風も一切立たぬ、まるで凪のようにピタッと風の止まったアノ状態というのは、気の抜けたコーラかぬるいビールに等しい脱力感に満ちているとつくづく思うのである―暑いならもっと暑くなれ!涼しいならもっと涼しくなれ!…どっち??そのクセ夜は妙に涼しくて、ソレを「過ごしやすくなった」と解することも出来るわけだが、でもイマまで見せてくれていたアノ賑わいは何だったの?と、なにやらちょっと突き放されたようなヨソヨソしさを覚えたりもする。そう、夏の終わりというのは、今まで季節を満たしていたものが突然無くなって、ポカンと一瞬真空状態が出来たような、そしてその突如開いた虚空を慌てて何かで埋め合わさなければならないような、そんな時期なのではないかと思う―言わば季節のエアポケット。
そんな中途半端な季節に、いかなる音を合わせるのが効果的か―という話である。
夏好き本位にゆけば、夏の終わりであろうが秋への変わり目であろうが、威勢のいい夏の曲がひたすら鳴り続けていれば、それだけで十分ゴキゲンである。夏の終わりという悲しい事実をひた隠しに隠し続けいつまでもビーチボーイズで"はぐらかす"べきであろう。しかしそんなバレバレなウソ、いつまで通用するワケもない。認めたくない秋の到来を、否が応でも認めざる得ない日は近いワケなのだから、だましだまし夏の曲をかけていた分、ビーチボーイズをかけるのを止めたときのズドーンという落差の方がダメージとしてはるかに甚大だろう。BGMと実際の気候とのギャップに、むしろ虚しさが増すばかり。では夏の終わりという悲しい事実をいち早く認めさせ、まだ夏が終わり切らぬうちから秋っぽい曲を聴かせて心づもりをさせるか…それも微妙に無理がある。なぜならこの時期、街の其処ココに秋が感じられるのと同時に夏の名残もまだまだ健在だからである。夏の名残がある以上、それは夏好きにとっては「夏」とカテゴライズされる理由になるわけだから、そこをバッサリ切り捨てて「もう秋ですよー」と言いくるめるのも、だましだまし夏の曲をかけ続けるのと同じくらい無理がある。ではどんな曲が夏から秋への落差をソフトに埋めてくれるのだろう。
そこで「夏の終わりについて歌った曲」をあたってみる。
夏の終わり―と聞いて思い浮かぶのは、たとえば山下達郎の「さよなら夏の日」だろうか。この曲は涼しくなった秋の空気の中で聴くべき曲ではない。夏の終わりの"最後のひと花"が如き暑さの中で、夏をジリジリと肌に感じつつ味わうべき曲だと思う。なので区分でいえばこの曲を聴くときは「夏」でなければならない。♪はるかな尾瀬…の「夏の思い出」、その「夏の思い出」を下敷きにしているであろう井上陽水の「少年時代」など、夏を思い出すことがテーマの曲は他にも多い。もちろん洋楽でも枚挙に暇が無いようで、どうやら夏という季節自体ワールドワイドに過去を思い出す季節らしい。なぜだろう。人間の記憶は気温と関係があるのだろうか…と、問いかけておきながらすぐに自分で返してしまうが、私はあると思っている。夏に限らず、それこそまだ雨が冷たい3月でも、ある一日だけ突然狂ったように気温が上昇する日があるけれど、そんな日のやたら湿気の多い空気の中、なぜだか決まって何処か旅行に行ったときの記憶などが甦る。どうやら空気のぬるみはすなわち人に開放感を与えるようだ。
あんまり話が長くなっても何なので、とにかく、夏の終わりにはこの思い出す曲がふさわしいと思われる。楽しかった夏を、暑かった夏を思い出す。いま一度思い返す。晩夏は夏をリプライズする時期なのである。で、アレコレ思い返すうちに、やがて訪れるべきさびしい秋の到来に向けて次第に覚悟が出来上がってゆくと…これが最も踏み外さない、適切な夏好き療法ではないかと思う。ソフトランディングである。コレを曲の組み立てに置き換えればこうなる…まず「まだまだ夏!」という曲を流す→そこにちょっとさびしい曲がちらほらと混ざり始める→でもすぐまた夏の曲に戻る→次第にさびしい曲の割合が増してゆく→これに夏の曲も対抗し「最後の仇花」的華やかさで行楽ムードを死守→しかし結局最後は抗えず、夏の終わりを覚悟する…終わらせ方は監督それぞれだと思う。ハイ、夏の負けーという感じでズドーンと落とす人もいるだろう。私なら最後は「確かに今年の夏は終わりました。でも夏好きのみなさん、また来年の夏にお会いしましょー!」と明るく爽やかに締めくくりたい。締めはいつでもハッピーエンド。
長くなり過ぎた。最後に、上に書いた夏好きハッピーエンド企画にふさわしい曲を2曲「推賞」に上げておくので、百読は一聴に如かず…ぜひ参考にしていただきたい。(つづく)
2004.9.1 Y.M