― 計画7 ―

 そんな要領で、各時間帯にベストマッチな曲々を、私たちの日常生活・生活習慣・サイクルなどというものを強く意識しながら、集めてゆけたらと。集めること自体はさほど難しくはない。以前書いたように「この曲は朝、コレも朝、…朝」とポンポン放ってゆけばよいだけの作業である。ではどの辺が難しいのかと言うと、集めた曲の並べ方・配し方である。いくら「いかにも朝っぽい」曲だからと言って、同じ調子の曲ばかり一時間続けるのは正しくない。1曲目は「おはよー!」なノリでよい。引き続き2曲目も「おはよー!」でまぁ許されよう。しかし3曲目もまた「おはよー!」だと、いい加減クドイ。午前中の間ずっと、会えば朝一と全く同じテンションで「おはよー!」と挨拶してくる人が居たとしたら、コイツ馬鹿か…と思うだろうことと、一緒である。モノには加減というものがある。「おはよー!」は初めだけ、あとは違う展開で「朝」の経過というものを表してゆくのがよろしい。その展開のさせ方こそがある種の醍醐味であるとも言えよう。当然「お昼」も同じ。「12時のチャイム」は一度だけでよい。チャイムが鳴り終えた後の人間模様をこそ想像を膨らませて音にすべき。

 「昼下がり」なんて時間帯も楽な方。南蛮の異国では公認の昼寝の時間が設けられているそうだし、紅毛の異国では紅茶時間なる至福のひとときがあるらしい。極東のこの国においてもそれら異国の優雅なる生活習慣への憧れは根強い。その辺りの思いを贅沢に体現してみせればそれで良い。そういう意味ではショボクレタ曲をかけるべき時間帯ではない。「この時間にこうしてゆっくりしていられる…!!」という"小さな喜び"をアシストする方向で。

 一方、前回言った"微妙なニュアンス"の時間帯―こちらは集めること自体が難しい。そもそもそういう微妙な時間帯について歌った歌というものが少ない。なのでコレについてはその微妙な時間帯に実際にかけてみて、合うか合わぬか一曲一曲試してみるほかない。合う合わぬというのは、それを聴いて気持ち良くなれるか/なれないか―ということである。この上なく心地好く心に響いた曲は合う曲、何か違和感を覚えた曲は合わぬ曲。要はまず自分が気持ち良いか否か、ひるがえってそれが他人=お客さんへの心遣いにつながると。自分にとっての快適/不快を追求すれば自然と、自分以外の"他人"にとっての快適/不快にも思い至るようになる。「他人の気持ちがわかる」などと言うとウソになるがしかし自分を基準に考えて、他人の気持ちを想像することはできる。どの辺に心を配れば喜んでもらえるか、快適に過ごしてもらえるか―それは結局自分にとっての心地好さに等しい。なのでまずは徹底して自分を気持ち良くさせる努力をせねばならない。

 しかし手当たり次第一曲一曲試してゆかねばならぬほど、私の想像力は貧困ではない。ある風景や場面、空気、刹那に触れた瞬間、頭の中で何かの曲の一節がパーンと鳴るときがままある。しかもその一節はサビのメロディではなかったりする―ブリッジのフレーズとか、ひどいときにはソロパートの出だしとか、とにかく印象に強い箇所であることは間違いないようだが―で、そのあまりに断片的過ぎる手がかりを頼りに、CDの山の中からその曲を探し当てる。すぐ見つからない場合も少なくない。長期戦は必須、1ヶ月くらいその断片のイメージを維持して、アレでもないコレでもない…と根気よく探してゆく。

 朝目覚めとともに突然頭の中に鳴り渡る曲もある。こういうのはBGMとは言わない―私自らが自発的に頭の中で流しているわけなのだから、"挿入曲"と呼ぶべきだろう―そうした"挿入曲"を日々丹念に拾い集めてゆけば、それだけできっと素晴らしいマイ・サウンドトラックが出来上がると思うのだけれど如何?―想像や先入観だけで物事を考えず(ex. JAZZ→夜の音楽、夏→サザン、手品→ポール・モーリアetc..)個人の実体験の上に構成する。そして出来れば、一日の時の流れや空気の変化というものを常に肌に感じる余裕を持ちながら考えたいものである。心の余裕、コレ必須。「ナニ?元気がない?じゃあ…」と強力ドリンク剤を差し出す…そんな骨太な商売がしたいワケではないので、もっと骨細く…では具体的にどう元気がないのか、どう顔色が悪いのか、体のどの部分がダルいのか…といったことを事細かに診察・分析して、その状況・状態に最もふさわしい処方箋を選定する―といったようなことを商売として考えているワケなのだから、心の余裕と細やかさ―これらは日々(買ってでも)持ち続けていられるよう、常に努め、心がけたいものである。その細やかさをもってはじめて、"微妙なニュアンス"の時間帯に触れて微細な反応が可能なのだ―と、ココで話は元に戻る。

 念のため付け加えておくけど、「夜」について歌っている曲は絶対「夜」に聴かなければいけない…ワケでないことは、まぁ当り前。同様に「夜」について歌っている曲だからといって「夜」聴くのが曲の雰囲気に最もマッチしているかと言えば、必ずしもそうとは限らない―我々自身「夜」に昼間や朝のことを考える(思い返す)し、むしろその時間帯でないからこそ、"今"でない時間帯のことに思いが及ぶというのは、考え事の常だと思うからだ。今が「昼間」でないからこそ、「昼間」の陽光が実際以上にまばゆく思い出されるのかも知れない―無いものねだりの願望として。なので「夜」の曲の中にこそ理想の「朝」が「昼」が「夕暮れ」が在るかも知れないし、逆に「昼間」にこそ優れた「夜」の曲が潜んでいる可能性もあろうと。その辺、曲のタイトルや曲中の"時間"にとらわれ過ぎる必要は全くない。…まぁ気の向くままに。基本は聴いて気持ち良くなれるか/なれないか

 そろそろ話は終盤に向かっている筈である。次は天気について。(つづく

2004.6.26 Y.M