つづき。あらかじめ用意しておく"手"についての説明から…でした(今回長目)。
前々回「朝には朝の曲、昼には昼の曲…」と書いたが、つまりはそのとおり「朝の曲」「昼の曲」「夜の曲」という分類であらかじめ曲を集めておくワケである。我が所蔵の千数百枚のCDをお店の壁一面にブァーッと並べて、その中から「えーと…今のお天気に合いそうな曲は…」なんてイチイチ即興で探していたのではまるで拉致が空かんので、事前に「朝っぽい曲」「昼っぽい曲」というカテゴライズのもと編集したCD-Rなりを用意しておく。そのCD-Rも「っぽい曲」をただ集めて無作為に詰め込んだというだけの「素材集」ではなくして、1枚の中できちんと構成や曲順のとれた、CD-R1枚=80分かけっぱなしにしても退屈することなく気持ちよく鑑賞できる、「作品集」レベルのクオリティを持つコンピレーションCD-Rであると。そいつを事前に仕込んでおく―「朝」用CD-Rの用意が1枚しかないと毎朝同じ1枚を聴く破目になるので、朝昼夜×各5枚づつでも作っておけば、日替わりでもいけるし、「朝A」の途中から「朝B」につないだりなどの適宜応用も可。また時間帯別にかけるモノがある程度決まっていれば、私が居るときと不在のときとで、曲提供の質が著しく変わる事態も避けられると。つまり当意即妙の選曲を謳っておきながら、BGMをマニュアル化してしまう魂胆である。
マニュアル化と聞くと、なにかアドリブの自由奔放・変幻自在な世界から一切隔絶されたモノを想像される向きも多いと思う。「応用が利かない」というのが"マニュアル"という言葉から受ける印象だろう。しかしそもそも一個の人間の持つ思考パターンなどタカが知れている…"Aという曲の次に合いそうな曲"という思考は私の頭の中でほぼ固まっていて、ソレ自体毎朝違ったり天気次第で変わったりするものではない。つまりは同じ頭で考える限りAの後には"Bが一番しっくり来る"と一度思ってしまったら、それはそう簡単に変わるものではないということである。主題歌を聴くだけでドラマのワンシーンを思い出してしまうようなもの。それくらい考えは凝り固まるものである。
一方。映画やドラマで"泣けるシーンの後には笑えるシーン"というのが定石中の定石として在るのと全く同じに、選曲パターンの定番も緊張から弛緩、静から動、動から静の流れである―ということは既に触れた(←司馬遼風)。これは発想とか思考とかいう以前に人間が生理的に「自然」と感じる"平衡感覚"と言った方が良いだろう。先天的なものという意味である。そもそもがそういうメカニズムを根底に持つものである。その日の空模様程度でその根幹自体がネコの目のようにくるっくる容易くひっくり返ってしまうような、そんなヤワなものではない。天気によって選び方は変わらない。変わるのは選ぶ対象―漁と同じである。毎朝沖に出て網を上げる、その行為自体は日々変わらない。天候により海の状態により時期により、変わるのは上がる魚の種類である。
あとは料理と同じ。料理には決まった順序がある。いきなりメインディッシュから始まる食事が無いのと同じように、オープニング2分で印籠の飛び出す『水戸黄門』も無い。決まった順序がある。音楽にも順序がある―1曲目=オープニングを飾るに相応しい曲はほぼ決まっているし、1曲目の余波を受けつつ話をちょっとだけ掘り下げる2曲目的役割というのも決まっている。3曲目で雲行きが変わり一瞬おや?となるが4曲目ですぐに解決してヒロインのとびきりの笑顔がスクリーンいっぱいに広がる―というようなパターン(手法)は、ミュージカル映画など観ていてもよくわかることだ。およそこのような流れを一単位として、あとはそれを何重にも積み上げてゆくことにより一編の壮大なストーリーが構築されるワケである。こうしたごくオーソドックスな手法に則って選曲してゆく以上、同じ私から日々まるで違うモノが生まれ出るようなことは、まずない。出て来るものは一緒。ならば毎度わざわざイチから作ってゆくこともあるまい。
パーツ、パーツで用意しておく。「お客さん見てそのイメージで作ります」という趣向で楽しませるシェフが居るけれど、もちろん言葉通りに、本当に見てからすべての調理を始めたのでは何も出せない、出て来ない。ソースや付け合せの煮炊きなどのごく基本的な仕込みは事前にきちんとしてあって、あとはそれをどう組み合わせるか、食材とどう絡めるかという話である。ノッポさんのようにある程度組まれたパーツを用意しておいて本番ではそれらをくっつけるだけの作業にしておけば、負担は随分軽くなる。BGMのためにベッタリ張り付く必要もない。
同じ頭から出て来るモノはいつも同じ。しかもその発想は、摂理と呼んでいいくらいの永遠不変の法則に根差している。そして―出来たら私は現場で楽したい…とくれば、やるべきことはひとつ。私の頭の中の思考パターンを分析して抽出することである―つまり朝目覚めたときの天気によって、晴れのときにはどんなことを思うか?どんな曲が頭の中で鳴るか?曇りのときは?肌寒いときは?…というのを自分を実験台に事細かにデータを集めていって、その中から一定の思考パターンを見つけ出すワケである。
問題は、その抽出されたパターンが果たして私以外の人間にもあてはまるものかどうか…というところだが、その辺については次回ということで(つづく)
2004.5.15 Y.M