開設から1ヶ月経過、カフェ計画の続きを明かそうと思う。音楽について、さらに。
まずよろしくない例から挙げよう。
たとえばちょっと小洒落た(←注:正しくはそんな語無し)雰囲気を出したくて、昼間っからジャズをかけているそば屋がある。ジャズのスタンダード曲が40〜50分サイクルで延々とループする店。狙う線はわかる…がしかし真っ昼間から「枯葉」や「クレオパトラの夢」など聴きたかぁない!気が塞がるよ。
ハワイ料理の店なら昼夜問わずハワイアンがかかっていることだろう。そういう店なのだからまぁソレはソレである(フラメンコがかかってもヤだし)。しかしそういうのはつまらないと思うのである。夏も冬も、晴れの日も雨の日も、ずっーと同じ気分でハワイアンって…。
"いつ行っても同じ"というところにつまらなさを覚える。お天気だってお客さんの気分だって、その日その時でさまざまなのだ。もっと言えばその店で働くスタッフの気分然り。なのに行けばいつも同じ…。もちろん、接客・販売・飲食において"いつ行っても同じ"は、きわめて大切なことである。絶対に変わってはならない要素のあることは理解している。しかしその一方で、我々お客さんは、特に必要でもない部分においてまで"いつ行っても同じ"に付き合わされていたりもする。ま、アチラも商売なので「プラス100円でLサイズになりますが…」くらい言ったって当然の権利だとは思うのだが、そうしたマニュアル的に画一化された型どおりのサービスというものが、我々お客さんにストレスを与えている瞬間もまた実に多いワケである―話を戻すと、そうしたマニュアル的な処理の中に音楽もまた含まれてしまっている辺りに、言い難いつまらなさと、ときには無神経さすらをも感じる―と、いうことである。もう少し客の気持ちに寄り添ったサービスを(音楽を)提供できる細やかさがあれば…と、一人の客として思う。
いやそれどころか、耳から入る情報というのは動物が身の安全を図る上で最も重要な情報なのであって、それゆえ非常に神経質に・敏感になるところである。なのでまるで意に沿わぬ音楽(=騒音・雑音)を聴かされたときにはそれ自体非常なストレスとなり得る。私が某大手古本チェーンの店内に長く居れないのも、某大手レンタルビデオの店内放送を聴かぬよう、耳にヘッドフォンでフタをするのも、某安売りドラッグストアで店員が曲中の合いの手に合わせて発する掛け声を聴かぬよう、目的を達したら努めて迅速に立ち去ろうとするのも、ソレが理由である。"音"による演出効果を、そう安易に用いるべきではない。
で、私のやりたいこと。
やりたいこと―多分それは"DJ"なのだろう(実は今から5年も前にそれを人から指摘されたことがある)。"DJ"と言ってもクラブでお皿回すイマドキな方ではなくて、FMラジオなんかで呼ぶところの「ディスクジョッキー」、古式ゆかしいソレである。
”2年後カフェ”では朝には朝の曲が、昼には昼の曲が、夜には夜の曲が流れる。
ひとえに"朝"と言っても日により季節によりさまざま―爽やかな朝もあれば、妙に霧がかった朝もある。"爽やかさ"も、風薫る5月と風立ちぬ10月とでは種類が違う。土砂降りが気持ちよい日もあれば、霧雨の鬱陶しい日もある。”2年後カフェ”では、なんとも憂鬱な朝に、空々しくも陽光うららかな曲などかけたりはしない。一日の時の経過や空模様など常に気にしながら―さらには"空気の匂い"や"陽差しの具合"など細かに感じつつ―その場・その時に合った曲を選んでゆきたい。
できたら、お客さんの表情など窺いながら曲を選べれば最高だ。独り静かに考え事をしに来たお客さんが居たなら、考えを邪魔しないよう…ではなく、思考がより深まるような、考え事の助けとなるような音楽をかけたい。もちろんお客さんは一人ではないから、その人の考え事にどこまで付き合うか、あるいは他の人の気分を優先させるか、現実的な問題はある。でもその場に居合わせる全員の気分が一致するときというのもまたあると思うのだ。全く面識の無いお客さん同士が同じ空間の中で同じコトを思う、同じ気持ちに浸る―うまくすると、その瞬間カフェ自身が一つの意思を、感情を、持っているかも知れない…なぁんてSFチックな話は置いといて、とにかく私の考えるのは、その日・その時々の気分や空気を素直に反映する空間である。
それはつまり、自分の部屋―仕事から疲れて帰ってきて、音楽でも聴きながらゆっくりくつろごうか…という場面に、激しいパンクをかける人など、まず居ない。それは昼間から暗ーい"ど"ジャズを聴きたくないのと同じであり、一日中ハワイアンを聴いていたくないのと同じ。その場・その時の気持ちに合った曲を聴いてくつろぎたい―それを意のままにできる"場"が自分の部屋だとしたら、あたかも自分の部屋に居るかのように心地の好い空間をつくりたいというのが、私の目指すトコロである。…そう、どうすれば「自分が」気持ち良くなれるか―というトコロからスタートしている。至極シンプルな出発点だと思う。
最後に―そよ風心地好い初夏の河川敷。青草の上に横になって空に浮かぶ雲をぼんやり数えているとき、誰が線香臭い演歌なぞ聴きたいと思う?誕生日のささやかなディナー。祝杯のBGMに誰がドロッドロのシャンソンなぞ聴きたいと思う?―でも実際、それに匹敵するミスマッチは世の中に溢れていると思う →"計画3"へ
2004.4.26 Y.M